Personnel Position

人事のすがお

人事インタビュー「人事のすがお」vol.7

  • 株式会社デジタルホールディングス

    人事総務部 部長 平田 陽介様

    広告企業、ITベンチャー企業を経て、2018年、人事として株式会社オプトに入社。 2019年、株式会社デジタルホールディングスに転籍し、人事領域全般(人事企画、人材/組織開発、労務、採用、HRBP)など幅広く経験。 2021年、ミッション型の人事制度を導入、働き方改革、グループタレントマネジメント、企業文化づくりを担当。 2022年から人事総務領域全体を管掌し、グループ全体の人的資本強化に向けて人材戦略設計および実行に従事。 [ 取材: 2023年10月 ]

  • 人事インタビュー「人事のすがお」vol.7
四分一:幼少期はどんなお子さんだったんですか?
平田:長崎県佐世保市で生まれましたが、父親の転勤で、鹿児島や佐賀にも住んだことがあります。主に九州地区で異動した後、小3の時にまた佐世保に戻って来ました。1992~93年、ちょうどJリーグが発足してサッカーがすごく盛り上がっていた頃、自分も小2からサッカーを始めまして、最終的には大学までサッカーを続けました。
四分一:じゃあ、サッカー漬けの少年時代で?
平田:まあ、トータルで投資した時間の長さで言えばサッカーなんですが、小学校の頃は、マンガとかミニ四駆とか、とにかく遊んでたなという子供でした(笑)。当時流行っていたミニ四駆と工具箱を持って公園に行って遊んでいました。ラジコンやゲーム機もそうなんですが、一旦分解して、それを自分で再現できるかという、人とは違う遊びが好きでした。父方の祖父が大工さんでDIYもよくする人だったんですが、その影響かも知れないです。
四分一:モノの構造そのものに興味があったんですね。
平田:そうですね。小学校の頃はゲームをするのはもちろん好きだったんですが、中学校に入ったら、やっぱり分解ですかね(笑)。「プレステの中はどうなってるんだ?」って分解してしまって、元に戻らなくて怒られた、みたいな(笑)。
四分一:その傍ら、サッカーも続けられていたんですね。
平田:朝起きてアニメを観て、昼はサッカー、帰宅してゲーム、という毎日でした。…あ、勉強全然やってない(笑)。
四分一:高校時代はどんな学生さんだったんですか?
平田:僕は普通高校じゃなく、商業高校に行ってたんですよ。ちょうどWindows95か98に触れる機会があって、情報処理の勉強がしたくなって、地元の商業高校へ進みました。HTMLとかVisual Basicとかを高校で学びました。ホームページも作ったりしましたね。
四分一:ちょうどインターネットの黎明期が高校時代だったんですね。
平田:はい。でもまだその頃はネットの接続料も高く、学校では自由にネットに接続させてもらえなくて、職員室のパスワードをどう盗むかとかで遊んでました(笑)。
四分一:その頃、将来こんな仕事をしたいとか、夢はありましたか?
平田:とにかく、地元を出たかったですね。親は教員とか、民間だと銀行とか、安定した職業に就くことを求めていたんですが、自分は地元で就職する気が全くなかったんです。商業高校だったので親はすぐ就職するんだろうと思っていたみたいですが、「教員になるから」と了解を得て、親との議論の中央解というところで、推薦で行ける国公立の長崎県立大学の経済学部に進みました。まずは大学で視野を広げ、その後就職してから東京へと思っていました。
四分一:どんな大学生活でしたか?
平田:本当はやる気はなかったんですが、掲げる目標と熱量とそこに集まっているメンバーのレベルを見て、大学でもサッカー部に入りました。サークルではなく、部活でガッツリです(笑)。あと、大学で勉強が好きになりましたね。知らないことを知る楽しさを知って、探求心が生まれました。部活も妥協なくやり、バイトは複数かけもちし、それでもゼミ長やサッカー部の部長をやって、教員免許も取り、ほんと、一切手を抜いていませんでした。あの頃はまだ「手の抜き方」を覚えていなかったんだと思います(笑)。今思うとそれが良かったですね。元々、意味のないことはやりたくないし、でも、実際にやってみないと意味付けができないという、器用じゃないタイプなので。
四分一:アルバイトはどんなことを?
平田:スーパーのレジ打ちや、佐世保ならではの漁師とか(笑)。あとは、塾講師や戸籍のダブルチェックとかレンタル店のアルバイトなんかもやりました。どれも楽しかったですね。
四分一:就職のことをお聞かせください。
平田:教育実習に行って、教員になるのは違うなと思って就活を始めました。レンタル店のアルバイトをしている時、店内販促やPRをやっていたのをきっかけに、IllustratorやPhotoshopを独学で勉強しました。そして、東京の町田にある中小企業でデザイナーとして仕事を始めることになります。
四分一:やはり「ものづくり」がお好きだったから?
平田:あの頃、何かを表現することをやりたかったんですね。ちょっと中二病っぽいところもあったかも知れません(笑)。その会社は、駅構内に流れているデジタルサイネージやお店の外観、駅POPとかを制作していました。
四分一:その会社にはどれぐらいいらっしゃったんですか?
平田:6年半ぐらい在籍して、部長までやらせていただきました。その次は、ITの開発を行うバルテスというベンチャー企業に、人事としてジョインしました。前職でも少し人事を兼務してはいたんですが、ここからは完全に人事担当となります。まだ上場する前、従業員が200人ぐらいの時に入社し、500人ぐらいになる頃まで、2年半ぐらい勤務しました。
四分一:人事という業務に舵をきったきっかけは何だったんですか?
平田:デザイナー時代に思っていたのは、デザイナーという職業は突き詰めていくと結局は「センスありき」の世界であるということです。努力して何かのスキルを上げるとセンスが上がる…というものでもなく、自分のバリューの発揮のしづらさを何となく感じていました。クリエイティブの世界で、自分の市場価値をお金に換算することの難しさ、と言いますか…。学生時代、サッカー部の部長やゼミ長をやっていたこともあって、自分を介さず組織を動かすことが、目的達成においては何より重要だなって考えていて、そこに行きたいと思うならやっぱHRだなと。
四分一:バルテスさんの人事は、その頃どんな体制でしたか?
平田:総務部長っぽい上司が1人いましたが、人事はあまりやったことがない方でした。自分の担当は、領域としては、エンジニア採用から始まり、未経験を教育する組織基盤作り、評価制度構築など一通り経験し、上場前に転職をしました。
四分一:どうしてそのタイミングで転職を?
平田:まず、自分のレベルアップということをフラットに考えた場合、ここまでずっとほとんどのことを独学でやってきて、誰かから何かを学んだということがほぼなかったなというのが1つあります。もう1つは、従業員が200人から500人になったところで、実は組織の課題ってそんなに変わっていないということに気付いて、でも、リソースは足りていなくて、足元でやってる業務のウェイトが何かに寄せられていってるなという世界観で…。もちろん、裁量があるというのは理解できるんですが、2年目以降は同じ業務の繰り返しになっている気がしていました。
四分一:なるほど。そこから転職を意識されて…
平田:はい。じゃあもう少し規模が大きくて、役割分担がされていて、1つの領域を深堀できるような組織に行った方が、自分の今後のキャリアになるんじゃないかと考えるようになり、2018年6月、当時はオプトという社名だった当社に転職しました。最初はホールディングス人事ではなく、オプトの人事として入社しました。その頃、HRとしての発信力を高めたり、HRを強化しているなという企業を探していたんですが、エージェントから紹介された中で、一番課題が多そうだなと思ったのと、当時の上司と価値観が合うなと感じたのがオプトに決めた理由です。単体で600人、グループ全体で1000人ぐらいの規模の時だったと思います。
四分一:オプトホールディングスさんとして上場を果たされて、既に規模も大きくなっていた頃なんですね。そんな中、最初は人事のどの領域からスタートされたんですか?
平田:2018年6月、オプトに入社してすぐ、上司に「まずはうちの課題を提示してみてくれ」って言われたんです。最初の1ヶ月ぐらいで全部の機能を横断して見てみたところ、「人材の獲得」が課題だなと感じ、「人材の同質化」も問題だと思っていたので、新卒採用業務を担当することになりました。その後総合職やエンジニア採用の担当などを経て、1年ぐらいで採用のマネージャーになりました。弊社がホールディングスを作ったのが2015年なんですが、まだ2018年頃もHR機能が各社にありました。しばらくしてコーポレート機能を集約することになり、採用マネージャーをやりながら、人事企画・労務の領域でホールディングスに出向するような形になり、その後その領域でもマネージャーになり、組織開発のマネージャーも兼務して…そこから現在の部長になりました。この会社の中で業務を1周させてもらった感じですかね。半年ごとにmissionが変わっていました(笑)。
四分一:半年ごとに業務が変わるというのは、デジタルホールディングスさんの慣例ですか?
平田:いえ、組織主導ではなく私主導ですね。基本は何でもこちらから提案していくという感じで。いつも最初に課題をキャッチアップするというスタンスを取らせてもらっています。例えば、大きな組織となると、組織の構成上、機能間の連携が取れていないためHRのバリューが活かせないという課題が出てきます。とはいえそういう構成でないと運用が回らないというのも理解しているので、機能ごとにジョインして課題を提示し解決に導く…というのを繰り返しやっていました。
四分一:課題を発見・提案し、そこに加わり改善し、それをやるうちにまた次の課題が見つかり、またそこで改善し…。いろいろな領域で平田さんが見つけた課題をどんどん解決していくということを繰り返して来られたんですね。
平田:そうですね。タイミングも良かったんだと思います。いろんな問題が顕在化してきた頃だったので。僕はたまたまラッキーだったのかも知れません(笑)。
四分一:さすがですね!平田さんには人事プロデューサークラブの事例研究会でもご発表いただきましたが、今の人事総務部長という立場になられてからどれぐらいですか?
平田:2022年の1月からです。そのタイミングで各社の人事を集約させ、自分の配下にHRBPを置くという形になりました。

(事務局補足:平田様は、2021年8月第102回事例研究会において「個人と会社の関係性を問い直す。組織変革と個の自立の実現に向けた人事戦略。」というテーマでご発表いただいております。※当時のお役職は人事総務部人事企画チームグループマネジャー)
四分一:現在の人事部門の組織の規模はどれぐらいですか?
平田:兼務を入れると、人事部で40人近い社員がいます。社員数は全社で1200人ぐらいです。
四分一:人事部長として、平田さんが今取り組んでおられることは、どんなことですか?
平田:今、経営の推進に人材データを接続しきれていないという課題があって、それを解決し実現させていきたいと思っています。まずデータ整備から粛々とやっているところなんですが、グループ経営やポートフォリオマネージメントの判断材料として、人材データを正しく渡していくというのは非常に重要だと考えています。そこをシステム化するというのが、まずやりたいところですかね。
四分一:将来的なキャリアビジョンですが、人事だけでなく仕事の領域を広げたり、あるいは人事をさらに深く突き詰めたり、または独立を考えたり…いくつかの選択肢があるかと思います。今、何かイメージされていますか?
平田:将来的なキャリアについては、まだピン止めははっきりしていないんですが、「常に難易度が高い方を選びたい」と思っています。それで言うと、まずはCXOを目指すという感じでしょうか。「経営資源をどうしていくのか」という意思決定に関わることができる、そんな自分に到達するのが、当面の目標です。
四分一:では最後に、平田さんが、最近プライベートで興味を持たれていることについてお教えください。
平田:僕は、趣味も副業化しちゃってるんですけど(笑)、奈良県の吉野町という自治体の役場の人事をお手伝いしています。特にゆかりもなにもない地域なんですが、社会が循環するっていうことや行政の組織がどうなってるかに関心があって、その役場の人事に入らせていただいています。

(事務局補足:「奈良県吉野町との複業人材活用における実証実験で、人事戦略アドバイザー1名が登用決定!民間のプロ人材の知見を活用し、地方創生を推進」
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000213.000047859.html
「PR TIMES」2022年11月25日記事より)

あとは、これも副業で、月1回ぐらい新潟で農業をやっています。お米とぶどうとトマトを育てています。漁業は昔やったことがあるので、次は農業やってみたいなと、それだけの理由です(笑)。
でも、本当の最後は、「教育」だと思っています。やっぱりいずれ何かを残したいですね。
四分一:趣味といっても、すごいですね!また機会があれば自治体役場の人事や、農業のお話も聞かせてください。プロデューサー講座でのお話も楽しみにしております。本日はありがとうございました。